新型コロナウイルス感染拡大防止策として、緊急事態宣言が発令されてから一週間あまりがたった。8日の深夜0時から効力を発揮するとのことだったので、16日の今日で9日目。連日、ニュースでは感染者数や防止策などが報道されている。でも先も見えない…。緊急事態宣言は5月6日までの効力とされているが、この事態の収束はそれまでには間に合わない気がする。
テレワーク推進がされているが、どうしたって業務上無理なところもある。この状態が続くと存続が難しい仕事も出てきてしまう。社会は根幹的な部分から変わるのでは、という意見もある。人との接触が推奨されない。
例えばだけど、もしみんながテレワークをできるようになったとしても、お金の巡りがどのようになるのかちょっとイメージがつかない…。むしろいま自分がどこからお金が入ってどのように使っているかを考えてみたが、この状態なので、給料・貯金→食料・音楽関係のウェブ上での寄付や投げ銭といった感じになる…。会社の収入が減りまくって失業してしまえば、私が今お金を支払っている先の収入も減る…。今後はお金をもらう仕事やお金をかける先の感覚も変わってくるのだろうか。
そう、自分も今後失業の可能性もあるので考えておかなくては。丁度スマートフォンのアプリ開発の勉強を始めてみようかなと思っていたのでチャレンジしてみるか。でも、いまこの状況で必要とされていることって何だろう。何ができるんだろ…。
医療の勉強はしていないので、そういった仕事につくのは難しいと思う。事務職とかならあるかもだけど…。あとはコンビニやスーパーマーケット、ドラッグストア…。運輸業もあるけど力もちではないのであんま自信はない(しかし以前、内勤で仕分けのアルバイトをしていたという過去がある)。感染のリスクはあるとはいえ、必要な仕事だとも思う。イメージがわかないが、いっそ農業とか、そうでなくともベランダで食べられるものも育ててみようかなとかも。
ただ、それより何より医療の現場が心配…。医療の現場が落ち着いてきて、医療従事者の方たちがひといきさえつければ、自分はとりあえず失業してもどーにでもいい。そう思うとやっぱできるだけいまは家にいるしかないのかな。
今朝、いろんなことがもやもやしながら、ふとツイッターで流れてきた記事が目にとまった。【プレッパー】という言葉が印象的で。prepare=準備する、…準備をする人との意味らしい。自給自足の生活や、社会が崩壊しても生きていけるだけの蓄え。
【“世界の終末”に備える「プレッパー」という人々を知っていますか】
蓄えもあった方がいいよなと思いつつ、それと平行してやっぱり社会の中での仕事も考える。社会かわってしまうのかな。
今朝、庭にでて、桜の木の根元を眺めていたのだが、桜の木の根ってすごい広がりやすいらしい。けっこうな力で家のブロック塀を破壊することもあるとか。ちょっと怖いなと思った。春に散る儚く美しい花を咲かせる木だが、その実そだちやすく案外にタフなようである。母が数年前に植えたものなのだが大丈夫だろうか…?
「社会が根幹からかわる」ときくと、ちょっと恐ろしい気持ちになるが、「根幹」というものをどのようにとらえるかによっても変わるのかな。人間にとって、生きるとか、食べるとか、そういうことは…変わらないはずだ、とか、思ったりとか。いや…それは社会の根幹というよりかは、生の根幹?…というべきか。
2020年4月16日。
なんだか、もやもやしています…。どうなるんだろう。
2020年4月16日、同日、追記。
人間にとって、生きるとか、食べるとか、そういうことは変わらないはず、それは生の根幹だろうか?と本文に書きましたが、読み返した後で、人間の生の根幹に、愛もあるといいなと思いました。クサいこといいましたけど、ほんとに思ったので、追記です。社会が変わっても、生きて、食べて、愛があるといいな、って。そしたらちょっともやもやが減りました。はい。